時代と共に変化した「香典」の歴史と由来を徹底解説


日本の葬儀に欠かせない習慣となっている香典。故人の霊前にお金を包んで供えるという行為は当たり前に行われていますが、なぜ「香典」という名前で、いつから現在の形になったのでしょうか。

ここでは、**香典(こうでん)**の持つ本来の意味と、長い歴史の中で金銭へと変化していった背景を分かりやすく解説します。


1. 香典の由来:本来は「お香を供える」という意味

「香典(こうでん)」という言葉は、本来は**「香(こう)を奠(てん)ずる」、つまり「お香を供える」**という意味を持っています。

故人の食べ物としての「お香」

仏教において、亡くなった人の魂(霊)は、四十九日を迎えるまではこの世をさまよっていると考えられていました。この間、故人は**お香(線香)**を食べて過ごす、という思想がありました。

そのため、生前の食べ物ではなく、故人の冥福を祈り、あの世への旅路の食料として、参列者が線香や香木を霊前(仏前)に持ち寄ってお供えする習慣が生まれました。これが**「香典」**の最も古い原型です。

衛生上の意味合い

また、昔は現代のように遺体の保存技術が発達していなかったため、強い香りを放つ香木などを焚くことで、悪臭を防ぐという衛生上の意味合いや、獣や悪霊がご遺体に近寄るのを避けるという目的もあったとされています。


2. 歴史:お香から「食料」、そして「金銭」へ

古代から始まった「お香を供える」という習慣は、時代の変化と経済の発展に伴い、その形を大きく変えてきました。

室町時代:武家社会での「香銭(こうぜに)」

金銭のやり取りが文献に残っているのは室町時代後期とされています。この頃、上流階級である武士階層では、「香銭(こうぜに)」という形で金銭を包み、お供えする習慣が始まりました。

ただし、この時点ではまだ庶民には浸透しておらず、実際に金銭を渡すことは少なく、身分や位に応じて金額を決めた目録を交わすことが多かったようです。

江戸時代〜明治時代:庶民の間で広がる「食料香典」

一般庶民の間では、金銭ではなくお米や穀物などの食料を持ち寄る**「食料香典」**が長らく主流でした。

これは、昔の葬儀が村や地域の相互扶助によって行われていたこと、そして、葬儀を執り行う喪家の経済的な負担を、地域全体で分かち合うという相互扶助(助け合い)の精神が背景にあります。この頃の香典は、葬儀の運営資金としての意味合いも強かったのです。

大正時代〜昭和初期:貨幣経済の発達と「金銭香典」の一般化

日本で貨幣経済が発達し、都市部での生活が中心となるにつれて、お米や線香などの「現物」よりも、現金の方が使いやすいという時代に変わっていきました。

明治時代に都市部で金銭香典が一般的になり、大正時代から昭和初期にかけて地方へと波及し、現在のような**「お金を不祝儀袋に包んで供える」**というスタイルが全国的に定着しました。


3. 現代の「香典」が持つ二つの意味

長い歴史を経て変化してきた香典は、現代において以下の二つの意味合いを併せ持っています。

  1. 宗教的な供養の意味(本来の由来)

    • お香や花の代わりとして、故人の霊前にお供えする供物という意味。故人の冥福を祈る気持ちを形にしたものです。

  2. 相互扶助の意味(実用的な側面)

    • ご遺族が急な葬儀費用の負担で困らないように、経済的な援助をするという意味。地域や社会のメンバーとして、悲しみを分かち合い、助け合うという側面です。

このように、香典は単なる金銭のやり取りではなく、故人への敬意と、遺族への思いやりや社会的なつながりを表現する、日本の文化に深く根付いた習慣なのです。

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